大阪の国際金融都市構想。香港のお株を奪うという原点に戻ろう

大阪の未来構想

少し前に大阪府から国際金融都市構想の戦略骨子案が発表された。

ということでその骨子案をベースに、私が感じたことを書いていこうと思う。

 

大阪のめざす国際金融都市像

国際金融都市OSAKA 戦略骨子素案(事務局作成)

  • アジア・世界の活力を呼び込み「金融をテコに発展するグローバル都市」
  • 先駆けた取組みで世界に挑戦する「金融のフロントランナー都市」

上の二つが目指すべき都市像とのことだ。

関係者各位でいろいろ議論されたのだとは思われるが、一つ重要な観点が欠けている。それは外資系金融機関の誘致である。

 

香港からお株を奪うのが本来の目的だったはず

もともと国際金融都市構想が日本内で活発になってきた原因は、中国共産党の支配が強まりつつある香港では将来的に自由な金融業ができなくなるという懸念からであった。

だから香港がダメになりつつあるので、その代替拠点として香港に多数拠点を置いている欧米系金融機関の東アジアのヘッドクォーターを日本にもってこようという話であった。

 

私の読み間違いなら教えて欲しいが、骨子案を隅々まで読んでも今回の最大の目的である外資系金融機関の誘致という文言が見られなかった。

もちろん私はフリーパスで外資系金融機関に入ってきてもらって良い、と考えているわけではない。制度設計を工夫し、彼らの存在が大阪や関西、日本全体にプラスとなるようにする必要は当然あると思う。

ただ、一言の記載もないのはアカンやろ!というのが正直な感想であった。

 

強力なライバルが増えるのを嫌った?

全く根拠のない私の推測ではあるが、欧米系金融機関という強力な競争相手が増えることを、地元企業含め産業界が嫌がったのではないだろうか。

だから本来の目的であった香港から外資系金融機関を誘致する、といった類の表記が骨子から消されていたのではないだろうか。

 

こちらもあくまで想像の域だが、そんなことをしていては国際金融都市構想が何度もポシャっている東京の二の舞になってしまうのではないか。

東京には官民様々なステークホルダーがいるため、外資系金融機関の誘致に積極的な勢力もいれば、自分たちの庭を荒らされたくない等といった理由で反対の勢力もいる。そしていろいろな勢力が綱引きをした結果、何も進まず、最後は現状維持となってしまう。

よくある日本の悪いパターンである。

 

大阪の都市官僚/政治家の熱意と倫理観が求められる

五代友厚。変化を嫌う大坂商人に対して、新しい近代的な経営形態の導入を強く説いた

競争相手が増えるのは誰もが嫌である。

もし私が金融機関の経営者であれば、物騒な外資系金融機関のアジアヘッドクオーターが大阪にやってきたら確かに脅威でしかないし、仮に競合しないといしても、いないに越したことはない。笑

 

私は国際金融都市構想の議論には参加していないので、実際はどのような経緯でこの骨子案が出てきたのか分からない。あくまで推測の域でしかない。

大阪府市の都市官僚や政治家は特定の企業の利益に誘導されることなく、大阪をグローバル都市へと導く高い志を持ちつつ、都市全体へのメリットを考えて骨子案の作成をしてほしい。

時代の転換期に活躍した五代友厚像をここに置いたのは、まさに今、大阪のあるべき姿を知らしめるためなのではないかとすら思えてくる。笑

 

補足:大勢は予想に反して一瞬(数年)で決まってしまうと推測

ベンチャーやイノベーションで成果を出すのは時間がかかるが、国際金融都市の実現は一瞬でできる説

私は以前仕事の関係でイギリスロンドンの古い金融街であるシティオブロンドンについて調査していたことがある。ということで一部を簡単に紹介したい。

 

シティオブロンドン(再掲)

実はシティは今でこそ世界指折りの金融都市だが、1980年代に入るまでは没落状態だった。ただ、サッチャー改革を経て外資系金融機関がどっと進出し、一気に復活を遂げた。

時代も地域もバックグラウンドもいろいろ違うので、全てが大阪にあてはまるわけではない。あくまで参考である。ただ歴史は成功のための鉄則パターンを教えてくれることがある。

面白いデータだが、出し惜しみせず使ってしまおうと思う。これも大阪全体のためである(?)

 

「現在のロンドン金融資本市場(シティ)の地位は、①歴史的・文化的インフラの整備、②人的資源の豊かさと人に体化されたスキルの集積、③情報テクノロジーの発達、④規制コストや取引コストの低さ、などの要因によって支えられている。これらの諸要素のうち、①歴史的・文化的インフラ以外の要因は、多分にビッグバン以降、それも90年代に入ってから急速に構築されたものと考えられる」

渡部亮『英国の復活・日本の挫折』ダイヤモンド社、1998年

→①歴史的・文化的インフラの整備以外はすぐにキャッチアップ可能ということを示唆。なお、大阪は商業都市ゆえの自由闊達な風土(=人的風土。この風土が18世紀に世界初の先物取引を生んだ)や堂島先物取引所、造幣局、各種金融機関など、①もそれなりに備えている。

あとは金融特区などの規制緩和を行い、高度金融人材が流入すれば・・・

 

株式市場
時価総額
(億ポンド)
GDP
(億ポンド)
時価総額
/GDP
金融業の
付加価値生産額
(億ポンド)
付加価値/GDP
1980 867 2318 37 248 12
1981 1002 2549 39 280 13
1982 1223 2790 44 321 14
1983 1568 3045 51 361 14
1984 2056 3259 63 402 14
1985 2465 3573 69 445 14
1986 3241 3848 84 528 16
1987 3664 4234 87 599 17
1988 3985 4714 85 680 17
1989 5149 5160 100 783 18
1990 4505 5511 82 863 18
1991 5363 5757 93 847 17
1992 6244 5989 104 911 18
1993 8101 6312 128 981 18
1994 7746 6683 116 1047 19
1995 9003 7009 128 1108 18

→1980年から1995年までの連合王国のGDP。わずか15年程度でイギリス全体に占める金融業の割合が7%も上昇。ロンドン単体に限ってみれば、域内総生産へのインパクトはもっと大きい。

外資系金融機関誘致による国際金融都市化は、上手くいけば数年で大勢が決まりうる&多大なる伊インパクトがあるということを示唆している。

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