大阪人が大好きな御堂筋もよそ者の市長によって建設された
理想論的ではあるが、社会を変えるために最も優れた方法は、そこに住む人々の意識を変えることだと思っている。
大阪は商業都市として魅力的な文化を持っているが、直していかないといけない悪い癖もある。
①とあるとおり続編にしながら、大阪が意識改革すべきポイントをずらずら羅列していこうと思う。
これまで何度も指摘してきた通り、大阪は長らく経済的に低迷してきた。
私はその原因の一つに、大阪全体が内向きになっていたことが挙げられると考えている。
例えば、大阪や関西であることに強すぎるこだわりを持ったり、大阪市など行政と地元企業が癒着してよそ者の企業が参入しずらい状況を作ったりなどである。
都市は常に外に開かれている必要がある。
人種や身分、出身地にかかわらず等しくチャンスがある。だから情熱や才能に溢れる人間がやって来るし、それが都市の成長にもつながる。
逆によそ者を寄せ付けない街であれば、もともと住んでいる人は居心地が良いかもしれないが、外から来る人は住みづらくなる。
もちろん大阪はどこかのド田舎ほど排外的ではないし、全国各地から人が集まってくる都市ではある。
しかし、過去しばらくの間は、ちょっと内向きになっていたのではないかというのが私の正直な感想である。
さて、大阪は”よそ者”に対して本来どうあるべきなのだろうか?
それを探るために、大阪のイノベーションを支えた起業家たちの出身地を見てみることにする。
大阪の有名起業家の半分は、関西以外の出身
引用:2019年度版なにわの経済データ(令和2年2月18日公開)
左側は明治維新以降、大阪で活躍した企業家を出身地別に分類したもので、右は門真市製造業の創業者の出身地域を分類したものである。
左の図を見ればわかる通り、大阪の代表的な起業家のうち半分は、中国や四国、九州、中部といった近畿県外からやってきた人、つまり”よそ者”である。
様々な事情はあったのだろうが、彼らは商業都市としての大阪に魅力を感じ、「商売でひと山当てるなら大阪だ」と志を持って大阪にやってきたのだろう。
もしここで「大阪は大阪人のものである」という態度でよそ者を追い出していたとしたら、大阪はこれほどまでの大都市には成長していなかっただろう。
時代が江戸から明治に変わった当初、大阪は稼ぎ頭の産業だった蔵屋敷を失い、株仲間は解散させられ、堂島のコメ取引も廃止され、大不況に陥った。
そのとき、大阪経済の立て直しに尽力したのは、遠く薩摩からやってきた五代友厚という人物である。
まさによそ者である。
狭い中津駅から撮影した阪急電車
阪急電鉄の生みの親である小林一三は山梨県で生まれ、慶応義塾大学で学んだ後、東京での勤務を経て大阪に身を移してきた。
単に鉄道を敷くだけでなく、住宅や観光施設などの沿線開発をセットで行うという私鉄のビジネスモデルの生みの親となった。
今や関西私鉄の雄である阪急も、よそ者が作ってきたのである。
また、御堂筋や御堂筋線、大阪市大などを作った伝説的な大阪市長である關一氏も、もともとは東京高等商業学校(現:一橋大学)の教授であった。
大阪の発展とイノベーションは大阪人だけでなく、常に域外からやってきた”よそ者”によってなされてきたのである。
”よそ者”なくして大阪なし、である。
よそ者を受け入れる懐の深さ
うめきた。大阪は世界で戦える街になるだろうか?
今書いてきたことはそのまま結論である。
大阪復活のために民間人レベルで意識すべきことは、「よそ者を受け入れる懐の深さ」である。
大阪の発展はよそ者によって成り立ってきたのであるから、今の大阪がもっと世界で戦える魅力ある都市に発展するためには、大阪人がよそ者を受け入れる懐の深さを持たなければいけない。
もともと懐は深い街だとは思っているが(笑)、それをもっと意識しようという話であった。
以上です。
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