【コロナショック】大阪のインバウンドはこれからどうなるのだろうか?

外国人観光客(インバウンド)

ガラガラのミナミ。事業者の気持ちになると胃が痛い・・

ここ数年間、北海道のニセコなどに並んで大阪は日本で最もインバウンドで美味しい思いをしてきた地域だった。

2018年度の訪日外国人観光客数(大阪)は約1141万人であり、日本全体で約3120万人だから日本を訪れる外国人観光客の3割以上が大阪を通っていたことになる。

 

インバウンド需要が集中する市内はホテルの開発ラッシュに沸いており、建設中の工事現場はほとんどがホテル開発といった有様であった。

特に今年は2020年オリンピックイヤーということも見越して、集中的に投資をしていきた事業者もいたに違いない。

 

しかしご存知の通り、今年の1,2月ごろから外国人観光客は減り始め、3月度の外国人観光客数は前年同月93%減の19.4万人にまで落ち込んでいる。

4月以降も同様か、それ以上の落ち込みになってくるだろう。

 

実際、日経新聞が実施した大阪市内の主要13ホテルの稼働率は3割を下回っており、このまま続けば財務基盤の弱い中小事業者は遅かれ早かれ倒産せざるを得なくなるだろう。

これから大阪のインバウンドはどうなるのだろうか?

コロナの流行やその収束はまだ予想できないが、長期的な視野に立って大阪のインバウンド経済を考えてみたいと思う。

記事の内容を要約!

・大阪のインバウンドはコロナによる航空需要減を受けて大ダメージを受けている

・短期的スパン(数か月~1年)では、低調な状態が続くと予想

・長期的スパン(1年~数年)では、現在の水準まで戻ってくると予想

・歴史を見れば、新産業の成功には幾多の苦難があった。今回も危機を乗り越え、より発展していってほしい

短期的には低水準が続く

ガラガラの大阪城

新型コロナウイルスの収束はいつになるか誰も分からない。

世界的に流行を抑え込むことに成功するか、ワクチンや治療薬の開発によって社会的に許容されるかなど様々なパターンが考えられるが、一度これだけ世界中に広まってしまった以上、完全収束は難しい。

 

つまり、ワクチンや治療薬の開発によって人々が「新型コロナは普通の風邪やインフルエンザと一緒やん」と思えるようになって初めて”収束”になるのだろう。

ウイルスは市中に残るので厳密には収束ではないが、人々が許容するようになって恐れる必要がなくなったという意味で”収束”である。

 

日本では阪大ベンチャーのアンジェスなどが中心となってDNAワクチンの開発が進められているが、これは普通のワクチンと違って”応急処置”であり、不活性ワクチンが開発されるには1年以上かかる見込みである。

また、日本で仮に治療薬やワクチンなどが開発されて大丈夫になったとしても、外国はそうではないかもしれない。

日本国内の事情だけで解決できないのがインバウンドであり、海外の情勢が酷ければインバウンドの回復は遅れてくるだろう。

 

大阪のインバウンドは数か月~1年という短期的に見れば落ち込みは続くだろうし、1,2年の短いスパンでもいつ戻ってくるかは正直分からない、というのが今の私の見立てである。

短期的な予想は、正直分かりません(笑)

中長期的に見れば戻ってくるだろう

しかし、中長期的(3年とか5年とか)な視点で考えれば、次第に戻ってくるだろう。

何年で今の水準である1100万人台に戻るかどうかは未知数だが、遅かれ早かれその水準までは回復するであろう。

 

デジタルを介したコミュニケーションがどれだけ発展したとしても、人間はリアルな世界での体験やコミュニケーションを常に求めるものである。

観光はそのリアルな体験の最たるものであるから無くなることはないし、むしろこれからはAIなどのテクノロジーの加速度的な発展で人類は暇になるのだから、ますます観光などのエンタメ産業の重要性は増すだろう。

インバウンドを産業としてみたときにその有望性は変わらないし、長期的な視野で見れば伸びていくことは自然の流れだと思う。

 

因みに。新産業には常に困難がつきものである。

2019年撮影の通天閣。大阪の発展には幾多の苦労がありました

因みに余談ではあるが、新産業の成功には常に越えなければいけない山があることも知っておくべきだと思う。

 

歴史を見ると、困った時にどうすればよいか分かることが多々ある。

明治維新以降、大阪は水運を中心とした商業都市から、紡績産業を中心とする商工業都市に生まれ変わろうとしていた。

新産業が生まれつつあるという点では、昨今の大阪の状況と少し似ているのかもしれない。

 

その後数十年で、大阪の商業力や工業力は日本各地やアジア各地を圧倒するほど成長した。

といってもこれはなかなか伝わらない。

本社が流出し続けている弱い大阪しか知らない我々にとっては、具体的に分からない。ということで下記の資料をアップしてみる。

 

引用:1919(大正8)年の産業の府県別状況

上は1919年の都道府県別の生産額である。

大阪は一人当たりの生産額は約46.9万円で全国ぶっちぎりでトップだった。

東京は一人当たりの生産額23.2万円であり、政治の中心であってサービス業が強い点を考慮する必要はあるが、それでも大阪は純・商工業の機能だけでこれだけぶっちぎれたのである。

 

さて、この数字だけ見れば「凄い」で終わってしまうのだが、大阪がこれだけ発展するには幾多の苦労があった。

1882年に設立されて大阪経済復活の先駆けとなった「大阪紡績」という紡績工場がある。

はじめは大成功したのだが、設立から10年後、3つあった工場のうち2つが全焼して大打撃を負っていたりする。

 

その他、国内市場が飽和したり、大不況に陥ったり、技術力の高いイギリス製綿糸に苦戦したり、中国政府との摩擦に苦しんだりと、挙げたらキリがないほどの困難が大阪に襲い掛かった。

それでも大阪は、度重なる不況や危機を、技術革新や経営の多角化、中国市場の開拓などありとあらゆる手を使って乗り越え、東洋最大の綿紡績都市にまでなった。

新産業がその都市の主力産業として成長するまでには、それだけの苦労があって当然なのである。

 

今大阪を含む全国で起きているコロナショックも、その一つなのだと思ってしまう。

今回の危機を乗り越え、大阪がより発展することを祈っています。

以上です。

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