大阪維新の会がこれだけの改革を進められた特殊な理由

政治行政(都構想など)

橋下徹元大阪府知事が2010年春に設立した「大阪維新の会」。日本第二の都市である大阪を拠点とする地域政党であり、国政政党としては日本維新の会と名前を変える。

大阪に住んでいれば嫌でも耳にする政党だが、関西をちょっとでも出ると維新とは何なのか分からない人は多く、そもそも政党の存在すら知らない人も多いかもしれない。

数々の改革をすすめてきた大阪維新の会

大阪に住んでいれば、維新が進めてきた改革を肌で感じることができると思う。今私が思いつくだけでもこれだけある。

 

・大阪府市の行政改革(職員の給料カット、補助金のカット、天下りの温床となっていた外郭団体の削減など)

・関空改革(構造改革で発着料を安くしてLCCの就航を後押し、関空と伊丹、神戸空港の経営統合など)

・教育(幼児教育の無償化、民設公営中学の設置など)

・鉄道インフラ(なにわ筋線計画の復活・実行、モノレールの延伸、おおさか東線の開通など)

・民営化政策(強力な反対意見と粘り強く交渉し、数年かかって地下鉄と市バスを民営化)

・二重行政の撲滅(府市の連携強化と一体化)

・巨大プロジェクトの誘致(万博、IRなど)

 

どんだけあんねん(笑)

とつらつら述べてきたが、これでも改革のごく一部である。維新の改革の詳細はまた今度別の記事でまとめようと思う。

もちろん賛否両論あるのは確かだ。財政難を理由にこれまで高すぎた給料を削減したのはごくごく合理的ではあるが、減らされた側からしたらたまったもんじゃないと思う。その一部は反維新として活動しているのかもしれない。

 

一般的には、任期4年のうちに地下鉄の民営化1つやれれば大成功というところだ。

それを維新改革では片っ端から実施してしまうのだから、正直驚いた。よくこんな数の改革を実行できたなあと。

さて、大量の改革が実行されたのは事実だが、どうしてそれが可能だったのか大阪以外に住んでいる人には分からないのではないだろうか?

一般に地方でこれだけの改革が進むことはない。どうしてだろうか?

大阪の特別な事情。沈みゆく大阪を何とかしたい大阪人の痛切な叫び

橋下徹や松井一郎(現大阪市長)、吉村洋一(現大阪府知事)を筆頭とする大阪維新の会が膨大な改革を実行できた理由は、これにつきる。

ボロボロで酷かった大阪を何とかしたいという大阪人(や周辺に住む関西人)の切実な魂の叫びがあったからなのだ。

もちろん優秀な外部人材を適材適所に配置したことなど要因は他にもあるが、一番根本になるのはこの熱意だ。

 

多分、大阪の特殊な事情は理解しずらいと思う。

戦前から高度経済成長期にかけては圧倒的な経済力を誇り、数多くの企業が本社を置いていた。しかし大阪万博以降、本社機能は東京に流出を続ける一方、行政は腐り倒していた。

大阪府市はしょうもないことで喧嘩を続け、ビルを建てては破産を繰り返し、せっかく作った南港の埋め立て地(夢洲など)も買い手がつかず失敗した。これだけ人口がいるにもかかわらず地下鉄は万年赤字、それにもかかわらず今里筋線というポンコツ路線を敷設し、赤字幅を拡大させた。

大阪府市は腐敗し、職員への給料は少しはカットされたものの民間に比べれば高止まりし、市バスには一千万円プレイヤーすら存在した。

本社流出や経済停滞によって平均所得は上がらず、市民の希望はなかった。

商都という自由な都市柄であるがゆえに、そんな停滞する大阪を大阪人はとっとと捨てて東京や海外に出た。

 

優秀な人材がいない都市には未来はない。

そして未来がない都市には、優秀な人材や若者はとどまらない。まさに負のスパイラル。

 

1990年代後半から2000年代後半にかけての大阪は見るに堪えない無残な状況だった。悲惨。

とにかくあの時代は終わっていた。日本第二の都市ではあったが、実際に大阪に住んでいる人にはその感覚すらないほど、没落していた。

 

何をやってもダメ。

オリンピックの誘致すら105票のうち5票しか取れず敗北。

本社機能は流出、中小企業ばかりで平均賃金は上がらない。

 

上手く表現できないが、あの時代の大阪はとにかく停滞感・諦念感・敗北感が街を覆いつくしていた。

大阪を元気にしようという声はあったが、「どうせだめだろう」と大半の人が思っていたはずだ。

 

そのような鬱屈とした空気の中で現れたのが橋下徹やその後を引き継いだ大阪維新の会なのである。

腐敗が進行していた府庁市役所を改革し、お荷物空港だった関空を復活させてインバウンドの呼び水を作った。

 

大阪都構想はその改革の中から出てきた構想だ。

もちろん大阪の今後を左右する制度なので慎重な議論が必要なのは当然だが、少なくとも「東京への対抗意識がどうのこうの」「都構想は東京の真似事だ」などと言う東京のメディアは全くわかっていない。

停滞感しかないあの10年前の大阪に来てから言えアホ。

 

「もう大阪はアカンわ」と諦めていた大阪に「まだイケるんちゃうか」という希望をもたらしたのが維新の改革であり、彼らの改革のエネルギーはまさしく「大阪を何とかしたい」なのだ。

政治は有権者ありきであり、改革者の熱意だけでは進まない。彼らの改革を認め、後押しし続けたのがこの鬱屈とした大阪を変えたいと思う大阪人なのだ。

 

だからこれだけの改革が一気に進んだんだと思う。

地方交付税というぬるま湯につかって安住している他の地方都市ではなかなか実行できない。

自分の街を何とかしたいと考える熱意に満ちた改革者が現れたとしても、それを強く支持する市民がいなければ、既得権益に支えられた現職に負けてしまう。

 

大阪の益々の改革を祈るばかりです。

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