大阪が”商都”と呼べる理由とは――何もないのに生き残る都市

歴史

”商都”とはいったい何なんだろうか

前回は定住人口が減りつつある大阪にとっては都構想はピッタリだと主張する記事を書いた。

大阪は雑誌や新聞などでよく”商都”と呼ばれることがある。そのまま解釈すれば”商業の都”という意味である。

 

確かに江戸時代は天下の台所として知られ、全国から豊富なお米や農産品、海産物が集まる商業の中心地であった。

その時代を”商都”と呼ぶのは分かるが、今でも商都と呼ばれることがよくある。

 

江戸時代は商人の街だったから、その名残でそのように言われているのだろうか?

今回は大阪が商都であると思う理由を、順を追って説明したいと思う。

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カジノIRの整備方針延期の事実から分かる商都・大阪の致命的弱点

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記事の内容を要約!

★大阪は首都機能のようなストックがない都市

★大阪は主力産業が何度もダイナミックに変わってきた珍しい都市である。豊臣時代は首都で、江戸時代は商業都市、明治~昭和時代は工業都市だった。

★大阪が衰退したのは新産業を掴めなかったから。一方、東京はIT産業を掴み、発展できた

★令和の時代、大阪・関西の新産業となりうるのは観光業(インバウンド)。数兆円の巨大な市場が大阪を待っている。この風に乗れれば大阪の復権が見えてくる。

東京や京都と違って、大阪はストックがない

大阪にやってきた観光客に対して、大阪人が冗談半分でいうフレーズは以下の通りだ。

「よく大阪に来たな。おもろいもんあったか?でも、大阪ってなんもないやろ(笑い)

もちろん本当に何もないとは思ってるわけではないし、よそから来た人にこんなことを言われたら怒る大阪人は多いだろう。

 

しかし、このコメントは大阪という都市単位で見れば的を射てるかもしれない。

大阪は、東京や京都と違って”何もない都市”である。

 

東京のストックは首都機能

東京・水道橋から眺める夜景

いうまでもなく東京には首都機能がある。

全国から集めた多額の税金を東京にいる公務員に分配する。そしてその税金が関連産業に流れ、経済を潤す(例えば、霞が関の官僚を送迎するタクシー運転手、政治家を接待する料亭、各国大使館の職員の給与・・・などなどなど)。

首都機能を持つ東京は仮に経済構造が変わっても、少々のことでつぶれることはない。首都機能という”金のなる木”があるからだ。

 

京都のストックは「古都」

世界的にも有名な金閣寺

一方、京都も京都でストックの塊である。

京都は長年日本の首都であり続け、清水寺や伏見稲荷など全国的に有名な神社仏閣がある。そして何より日本人にとって京都は敬意の対象というか権威を感じる場所である。

京都はそれらのストック(神社仏閣や古都の権威など)を長年観光資源として活かしてきたし、今後もそれらをフル活用し続けるだろう。

 

大阪はストックがない!

一方、大阪はそういったストックが何もない。何もない!

確かに商業の街として発展した経緯があることから、コミュニケーション能力を活かしたお笑い文化など、他にないコンテンツはあるかもしれない。

しかし、首都機能や歴史遺産ほどの固定性はない。大阪には首都機能や古都のような”金のなる木”というストックがないのだ。

 

ストックがない街は人が集まりイノベーションが起きているときは手が付けれないぐらい景気が良いが、不況になったり経済構造が変わると、一気にダメになってしまう。

温まりやすいが、冷めやすい。

 

まあこの部分は大阪人に説明する必要もないレベルのことで、1970年代以降の大阪はまさにこの状況であった。

大阪は確固たるストックがないため、地域に魅力が無くなれば、企業はすぐに出て行ってしまう。

大阪発祥の商社や銀行、住友系の企業など、名だたる大企業は大挙して東京に移動してしまった。

 

”商都”が意味すること

大阪は商都だ。その理由は、犠牲を払いつつも古い産業を捨て、より儲かる産業を発展させて生き残っていくダイナミックな生きざまにある。

日本は閉鎖的な社会性もあって、ずっと同じビジネスを続けている方が優れていると思われがちだ。100年以上先祖代々ずっとお茶を売っている茶屋などはよくテレビなどで見ると思う。

 

しかし、あきない(商い)=ビジネスは常に変化し続けることが普通だ。

商いにおいてはずっと変化せず同じことをする人より、常に違うことに挑戦して新しいビジネスチャンスを探し続ける人が好まれるし、成功する可能性も高い。

大阪を語る上で面白いのは、大阪という大都市は一時的に衰退するものの、短期間に次のメインビジネスを探して瞬く間に復活し、繁栄を続けている点にある。

 

それは江戸時代や明治以降の大阪の歴史を軽く振り返ればすぐわかるだろう。

 

江戸時代:天下の台所(商業都市)

引用:大阪堂島米市場(国立国会図書館)

学校の教科書でもお馴染みの「天下の台所」である。

 

大阪は江戸時代、物流の拠点として発展した。ザックリ今風にいえば、物流倉庫である。

物流倉庫と言っても機械で無人化された味気ないアマゾンの倉庫とは違って、全国から人とモノが集まる活気のある倉庫だ。

中之島など、大阪市の淀川や堂島川の周辺には全国から集めたお米や農産品、海産物を保存する蔵屋敷が多数置かれた。

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モノや人が集まれば、商業も発達する。周辺には飲み屋街や色街ができ、お米への投機熱が高まって世界初の先物市場(堂島米市場)というとんでもないイノベーションも生まれた。

しかしその後、幕末から明治維新初期にかけて、全国各地から大阪にものを集めるシステムが崩壊し、大阪の街は一度は衰退した。

また、武士による借金踏み倒しも大坂商人にとっては痛手となった。

 

明治~昭和:東洋のマンチェスター(工業都市)

当時の工場の様子(引用:大阪府 報道発表資料)

商業でダメになった大阪は次なる手を探した。

繊維産業にワンチャンスを発見した当時の大阪商人や資本家は、海外から最新の紡績機を購入し、大阪の地に繊維工業を興した。

 

次の1万円札の肖像画に採用された渋沢栄一だが、彼が日本最初の蒸気力紡績工場を大阪に作ったことはあまり知られていない(そもそも渋沢栄一自体有名ではない)。

渋沢が作った大阪紡績工場は24時間フル稼働するなど成功をおさめ、それを機に、雨後の筍のように大阪各地に紡績会社が設立された。

 

繊維産業の風に乗った大阪は各地に工場が立ち並び、明治維新期の混乱から復活した。

市内各地に立ち並ぶ煙突からモクモクと煙が上がり発展している様子から、大阪は「東洋のマンチェスター」と呼ばれるようになった。

※マンチェスターは産業革命で綿工業が盛んだったイギリスの都市。

 

関東大震災後には関東から戦災を逃れてきた人々を吸収し、東京を抜いて日本最大の人口(人口211万人)を抱える都市にまでなった。世界では第6位に位置していた。

戦後は、繊維業は衰退傾向にあるが、今でも船場のあたりには服や布の問屋街が並んでいたりする。

 

過去50年の大阪衰退の原因は、新産業が生まれなかった点にある

大阪万博(1970年)が終わって以降、大企業を中心として、本社を東京に移動する傾向が次第に大きくなってきた。

東京ではバブル崩壊後の不況を”失われた10年”や”失われた20年”と呼んでいるが、大阪はもっと長い。

 

この長期にわたる大阪経済の衰退は半世紀近く続き、”失われた50年”状態である。

先ほども書いた通り、本社機能が出ていくと高給取りがいなくなるので平均所得が下がる。府市の税収も下がる。また、本社が無くなるから雇用が減って生活保護受給者が増える。所得が悪くなるとひったくりなど犯罪も増える・・・負が負を呼ぶ最悪のスパイラルだ。

 

その原因は、霞が関による東京一極集中政策(例えば東京に本社を置かないと銀行団体の頭取になれないなど)も一因だが、大阪にも衰退の責任はあった。

 

大阪は衰退しつつある繊維産業や電器産業、そのほか重工業に代わる新しい産業を興せなかったのだ。

東京は優秀な人材や情報が集まりやすい首都の強みを活かし、IT産業の波に乗った。サイバーエージェントやヤフー、Googleジャパンなど、名だたるIT系企業の本社は東京都港区にある。

因みにITベンチャーを多数輩出する六本木ヒルズも港区だ。

一般に新産業は付加価値が高い(≒給料が高い)。競合がいない上に、革新性が高いからだ。東京はこの儲かるIT当産業にしがみつき、さらに発展することができた。

 

大阪には確かにシャープやPanasonicを代表とする電機メーカーがあり、その部品を作る下請けの中小企業も数多くあった。

しかしこれらの企業も2000年代に入りダメになった。パナソニックは再建できたが、シャープは破綻し、台湾のホンハイ傘下になった。

 

大阪の経済が復活するか否かは、大阪経済全体を引っ張ることができる「儲かる新産業」を生めるかどうかに掛かっている。

 

間違いなく観光業(インバウンド)はその一つになる

心斎橋筋・千日前周辺は昼夜問わず観光客でごった返しています

筆者はたびたび当サイトでインバウンド(外国人観光客)の重要性について説いてきた。

それは私が外国人好きだというわけでもなければ、旅行会社からお金を貰っているというわけでもない。

インバウンドの重要性を強調するのは、今後、大阪で最も儲かる可能性が高い産業が観光だからだ。

 

大阪経済を支えた産業は、江戸時代は物流業とそこから派生する商業や金融業だった。明治時代以降は製造業。

平成末期以降、令和の時代は観光業(インバウンド)になるだろう。

 

一言でいえば観光業は儲かる。

その理由は簡単で、人は旅先では財布が緩むからだ。

毎日行くスーパーでは1個80円の普通の豆腐と、1個200円の高級豆腐どちらを買おうか迷うのに、旅先のハワイでは簡単に2000円のランチを買ってしまう。

そんな経験はないだろうか。

 

インバウンドの重要性については今後別記事で説明するが、大阪が商都である所以は、まさに主力とする商いが劇的に変化する点にある。

商都とは”商業”にこだわるのではなく、ビジネスチャンスを探して稼げる産業を探していくその姿勢がある都市のことを言うのだ。

 

世の中の流れは早い。

ひょっとすると、当の大阪人すら気づかないうちに大阪は観光で稼ぎ倒す街になっているかもしれない。

まして他の地域から来た人は、数年来ないうちに観光の街として変貌している大阪の街に驚くであろう。

このように激変できるところが、大阪が商都である所以なのである。

 

大阪という都市の長い歴史で見れば、1970年代から2020年という50年間はその転換点だったと言えるかもしれない。

今後、ホテル業やライフサイエンス、エンタメ産業、鉄道など関連産業を含めれば数兆円の巨大市場が大阪・関西に生まれ、年々成長していくことになる。

仮に、犠牲を伴いつつも、大阪がメインビジネスを従来の産業(繊維など)から新産業(観光を中心とするエンタメ産業)に転換できたとき、後世では、1970年から2020年までは衰退期、これからの100年は勃興期だったと言われるかもしれない。

うめきた2期がイノベーションの大拠点になるために足りないのは”ネットTV”だ

カジノIRの整備方針延期の事実から分かる商都・大阪の致命的弱点

香港の次の”経済自由都市”は天下の台所「大阪」になるかもしれない

コメント

  1. 摂河泉最高 より:

    うーん
    とは言えやはり歴史的にはずっと首都圏だったわけです
    歴史好きからすると

    「近畿」の「畿」は「王」という意味ですからね
    王に近い場所

    「畿内」はその中でも特に王のいる場所つまり首都そのものを意味します
    畿内に含まれるのは二大古都である京都奈良の大和と山城と並んで摂津河内和泉つまり大阪そのもの

    「古都」の3/5つまり過半以上は大阪なんです

    江戸が首都なのに経済規模で勝っていたという歴史は確かに誇らしいですが、我々はもう少し政治の重要性を大事にすべきだと思います

  2. たほー より:

    東京一極集中の正当化理由として首都だからっていう人が結構いるけどそれは違うよねって思う。
    ニューヨーク、トロント、シドニー、イスタンブール、リオデジャネイロ、上海、ミランなどなど、実は最大都市が首都じゃない国は世界全体で1/4~1/3くらいある。
    日本の首都東京で一極集中が起こるのは東京に集まらざるを得ない日本の制度の問題。
    それで甘い汁を吸おうとする腐った官僚たちをなんとかしないと、どうにもならないと思う。彼らは自分の懐が潤えば、関東以外がゴーストタウンになろうが知ったこっちゃないだろうし。
    そして今となってはその制度が改善されたとて規模の効果で結局東京に吸い取られる。日本人は自身の主義主張よりも長いものに巻かれるのが好きな人が多いからね。
    インバウンドも現在のペースで増え続けることはないだろうから、そろそろ頭打ちになると思うよ。そして地方の衰退は日本経済を脆弱させ、結局は東京都もその被害を被ると思う。